『教えることで成長できる』の本当の意味

生徒さんに教えながらも
一番教えられているのは自分かもしれない。

 

昨日は外部の教室での講師のお仕事でした。
裏地付きのワンピース。
長く通ってくださっている生徒さんで、
洋裁のスキルもかなりお持ちの方だったので、
いつもよりちょっと難しい作り方を試していただいていました。

「ここ、ピンでとめてください」
「次は、ここを縫ってください」
「次は、またここを…」

気付いたら説明説明、というか作業の指示ばかり。

 

複雑な作業が続く時、
教える私自身も実は脳内では、
完成までの道筋に間違いがないように結構必死、、(; ・`д・´)

確かに、間違いなくものは出来上がるんだけど、
自分の中で、そういう必死さが勝ち始めると、
明らかに生徒さんの顔が曇る。
やらされている感、ってやつ。

その空気で、また私が焦る…という悪循環。
授業中、いつも生徒さんとは
お互いの感情が共鳴しあっていることを手に取るように感じます。

いい空気も、悪い空気も。
 

 

作品が間違いなく出来上がること
創る時間を楽しむこと

両方を同時に提供できてこその先生だけど、
このバランスって本当に難しい。

 

難しいのは、生徒さんとのやりとりというより、
自分の感情と、ロジックな部分にどう折り合いをつけるか。

むしろ、私の目指すところは
ロジックさえもどう楽しんでもらえるか、というところ。

 

そこの未熟さを痛感した日でした。
やっぱり心底純粋に全てを楽しんでもらえなければ
私の伝えたい洋裁の形ではない!
改めて自分のベースにあるものを強く再確認しました。

 

 

教えることで自分が成長できる、これはよくある話。
私は今までこれを
教える立場としての成長という風に捉えていました。

でも、教える側の一方通行では
結局、私も、生徒さんも成長できない。

完成までの一歩一歩、一針一針、
楽しい瞬間を一緒に積み重ねるからこそ、
生徒さんにとっても学びがあると実感しました。

こういう実感こそが、
”教えるという事で得られる”ということの
本当の意味ですね。

 

こんな素晴らしいことに気付かせていただけるこの仕事は
やっぱり私にとっての天職だなぁ、、ありがたい。。!